1月28日の記事の補足ということで、エイプ周りの動きをまとめてみました。なお、この記事はフィールズ株式会社のIR資料を参考に書きました。間違いがあればご指摘願います。
1989年3月
任天堂株式会社の支援を受け、業界外の才能を任天堂のゲーム作りに生かすという目的で、株式会社エイプが設立される。糸井重里氏が同社代表取締役社長に就任、川口孝司氏(当時任天堂総務課長)はマネージャーとして設立時から参画する。その後エイプには、石原恒和氏(現株式会社ポケモン社長)や伊藤あしゅら氏など、優秀な人材が集まる。
1989年7月
糸井氏が企画・脚本を手がけた、ファミリーコンピュータ用ソフト『MOTHER』発売。
まもなく続編『MOTHER2』の開発がはじまる。開発はエイプとパックス・ソフトニカが担当。
1993年
『MOTHER2』の開発が頓挫。
岩田聡氏(現任天堂社長)率いる株式会社ハル研究所のヘルプが入り、制作が軌道に乗る。
1994年8月
スーパーファミコン用ソフト『MOTHER2 ギーグの逆襲』発売。
『MOTHER2』完成後エイプは休眠状態となる。石原恒和氏はエイプのメンバーを率いて、株式会社クリーチャーズを設立。
1995年6月
糸井氏がハル研究所取締役に就任。この頃から『MOTHER 3』の開発が始まる?
1996年11月
「NINTENDO64スペースワールド'96」で、64DDが初公開。64DD対応ソフトとして『MOTHER3』がビデオ出展される。
1997年11月
「任天堂スペースワールド'97」で、64DDソフト『MOTHER3 キマイラの森』がビデオ出展。
1999年8月
「任天堂スペースワールド'99」で、NINTENDO64ソフト『MOTHER3 豚王の最期』がプレイアブル出展される。しかし、実際にプレイした人の反応はいまひとつ。
2000年3月
フィールズ株式会社社長の山本英俊氏がエイプの取締役に就任。翌月には東京糸井重里事務所取締役にも就任。(この時点でフィールズがエイプを子会社化?)
2000年8月
ほぼ日刊イトイ新聞紙上で『MOTHER3』の開発中止が発表。
2001年6月
糸井氏がハル研究所取締役を退任。一方で、フィールズ社外取締役に就任する。
2001年?月
川口氏が任天堂から株式会社ポケモンに出向。同社取締役販売統括担当に就任。のちに川口氏はポケモンを退社?
2003年1月
フィールズの子会社として、株式会社デジタルロードが設立される。川口氏が同社代表取締役社長に、糸井氏が同社取締役に就任する。事業内容はソフトウェアの企画・開発。
2003年4月
ゲームボーイアドバンス用ソフト『MOTHER1+2』を6月20日に発売すると発表。併せてGBAソフト『MOTHER3』も制作中であることも明らかになる。
2004年1月
フィールズがD3パブリッシャーと資本提携。糸井氏や川口氏とD3Pが共同で、新たなキャラクターの創出するとの発表もなされる。
エイプはフィールズの子会社扱いになっていますが、任天堂の方も関連会社となっているようです。デジタルロード、フィールズ両社ともに、任天堂との直接の関係は今のところ見受けられません。
まあ、そんなに深い意味はないと思いますが、いちおう書いてみました。
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