GBA「MOTHER 3」遂に完成―シリーズの歴史を振り返る
ほぼ日刊イトイ新聞のトップページに掲載されている糸井重里さんのコラム「今日のダーリン」で、ゲームボーイアドバンス用ソフト『MOTHER 3』の開発が終了した旨の告知がありました。
昨日は、『MOTHER 3』というゲームができた日でした。前作から、12年経っていました。1度は開発が中止になって、再開発がスタートしてからも、かなりの時間が流れました。
(中略)
何度か、「よほどのことがないかぎり、発売できます」というようなことを言っていましたが、ほんとに、もう、工場が動き出してます。4月20日には、お店にならびます。
(中略)
待っていてくれた皆さん、予約してくれた皆さん、ありがとうございました。ご迷惑をおかけしていた皆さん、ついに終わりました。すみませんでした。
ほぼ日刊イトイ新聞 -サイシン(今日のダーリン3月25日付)より
糸井さんをはじめ関係者のみなさん、完成おめでとうございます...と書いたほうがいいでしょうね。『MOTHER 3』のマスターアップは、幻となった64版のことも含め、全てが報われた瞬間だったのではないかと思います。これまで紆余曲折がありましたが、私も追っかけてきた一人であり、ファンの一人として喜んでいるところです。ここまできて出ないってことはさすがにないでしょうから(笑)、あとは本当に『MOTHER 3』の発売日である4月20日の日を楽しみに待つだけとなりました。
『MOTHER 3』の完成を記念して、『MOTHER』シリーズのこれまでについて簡単にまとめてみました。
1989年3月 任天堂の出資により株式会社エイプが設立される。糸井重里氏が同社代表取締役社長に就任
[補足]エイプ設立の背景には、「このままではいずれゲームのアイデアが枯渇するだろう」「ゲーム業界を支えていくのは一握りの天才である」との考えを持っていた山内溥任天堂社長が、糸井重里氏の人脈に目をつけ設立したものといわれている。実際エイプには、石原恒和氏(現株式会社ポケモン代表取締役社長)、伊藤あしゅら紅丸氏(イラストレーター)、三浦明彦氏(現株式会社ジニアス・ソノリティ企画室長)、三浦昌幸氏(株式会社ポケモン所属、明彦氏の弟)ら優秀な人材が集まり、これらのスタッフで『MOTHER 2』の開発にあたった。また、1996年に発売され大ヒットとなった『ポケットモンスター』も、ゲームフリークの田尻智氏がエイプに企画を持ち込んだのが始まりである。
1989年7月27日 糸井重里氏が企画・脚本を手掛けたファミコン用ソフト『MOTHER』発売
[補足]糸井氏と任天堂を結びつけた縁は、意外にも『中山美穂のトキメキハイスクール』である。そのパブリシティ戦略などで、糸井氏に助言してほしいという話が電通からあり、今西紘史氏や任天堂の担当者と会う機会ができた。以前からゲーム制作に興味のあった糸井氏は、任天堂に『MOTHER』の原型となる企画書を持ち込んだが、応対した宮本茂氏は当初難色を示した。糸井氏自身のゲーム開発に取り組む本気度がわからず、当時いくつか出ていたタレントをモチーフにしたゲームのように、デキの悪いゲームになってしまうのではないかという不安があったためである。「作ってからが商品」だという宮本氏に、糸井氏は京都からの帰りの新幹線で、安易な考えでいた自分に悲しくて涙したという。しかし後日、任天堂から「本気でやるんだったら」との連絡があり、糸井氏は「やりますやります」と二つ返事で引き受けた。こうして『MOTHER』のプロジェクトがスタートしたのである。
『MOTHER』の開発はパックスソフトニカが担当。当時のパックスソフトニカは千葉の市川にあり、糸井氏は毎日のように東京から通って『MOTHER』の開発にあたったという。『MOTHER』の開発期間は約1年。
『MOTHER』『MOTHER2 ギーグの逆襲』の音楽は、ムーンライダーズの鈴木慶一氏と任天堂開発第一部の田中宏和氏(現株式会社クリーチャーズ代表取締役社長)が手掛けている。田中氏は『MOTHER』の音楽を担当することになった経緯について、上司である横井軍平氏に呼ばれて行ったら「おまえやれ」って言われたそうで、特に深い意味はなかったという。
1993年 エイプとパックスソフトニカで開発していた『MOTHER2』の開発が頓挫。岩田聡氏(現任天堂代表取締役社長)率いるハル研究所がヘルプに入り、開発が軌道に乗る
1994年8月27日 スーパーファミコン用ソフト『MOTHER2 ギーグの逆襲』発売
[補足]「大人も子供も、おねーさんも。」のキャッチコピーと、木村拓哉が出演したTV-CMが話題になった。
『MOTHER2』の完成後、エイプは休眠状態となる。石原恒和氏は1995年11月、エイプのメンバーを率いて株式会社クリーチャーズを設立した。
1995年6月 糸井重里氏がハル研究所の取締役に就任
[補足]この頃から『MOTHER3』の開発が始まる?
1996年11月 「NINTENDO64スペースワールド'96」で、NINTENDO64用拡張アダプタ64DDが初公開。64DD対応ソフトとして『MOTHER3(仮称)』が映像出展される
[補足]NINTENDO64のラインナップを紹介するダイジェスト的な映像の中に、『MOTHER3(仮称)』の映像が数秒含まれていた...と記憶している。
1997年11月1日 ローソンの端末でスーパーファミコン用ソフトの書き換えができるサービス「NINTENDO POWER(ニンテンドウパワー)」が開始
[補足]『MOTHER2 ギーグの逆襲』は、サービス開始当初から書き換え可能なソフトのひとつだった。
1997年11月 「任天堂スペースワールド'97」で、前年に引き続き64DD用ソフト『MOTHER3 キマイラの森』が映像出展
[補足]サブタイトルの「キマイラの森」はその後商標登録に問題があることがわかり、以降は「奇怪生物の森」→サブタイトル無し→「豚王の最期」というように変わっていった。
1999年1月21日 NINTENDO64用ソフト『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』発売
[補足]プレイヤーキャラクターとして『MOTHER2』の主人公ネスが登場。
1999年春 任天堂の山内溥社長の要請を受け、『MOTHER3』プロデューサーの岩田氏が、ドルフィン(後のゲームキューブ)完成のため日本とアメリカを往復する日々が始まる。多忙を極めたため5月にハル研究所の社長を退任する
[補足]開発中止の一因となるが、それ以上にこの時期まで開発が長引いていたことが問題である。
1999年6月11日 64DDの会員制サービスの概要が発表される
[補足]リクルートと任天堂が、64DDを使った会員制ネットワーク事業(後の「ランドネット」)の開始を発表した(ニュースリリース)。その発表からほどなくして、『MOTHER3』など64DD用として発表されていたタイトルの一部がロムカセットに移行したことが明らかになった。
1999年8月 「任天堂スペースワールド'99」で、NINTENDO64用ソフト『MOTHER3 豚王の最期』がプレイアブル出展される
[補足]発売時期は、2000年5月発売予定とアナウンスされる。『MOTHER3』は音楽がゲームシステムの肝となっているため、体験台にはヘッドホンを用意する気合の入れようだったが、残念ながら完成度は低くユーザの評価は芳しいものではなかったようだ。
2000年8月22日 ほぼ日刊イトイ新聞にて、NINTENDO64用ソフト『MOTHER3 豚王の最期』の開発中止を発表
[補足]開発中止の理由については、上記リンク先を参照してもらうとして、ここではN64版『MOTHER3』の開発スタッフについて簡単に触れておく。開発にはハル研究所のほか、グラフィック制作にクリーチャーズが参加。アートディレクターは当時クリーチャーズの伊藤あしゅら紅丸氏だった。音楽は当初、前作に引き続き田中宏和氏が担当する予定もあったが、データイーストで『ヘラクレスの栄光』シリーズなどを手掛けた、ハル研の酒井省吾氏が担当することになった。
2001年6月 糸井氏がハル研究所の取締役を退任
2001年11月21日 ゲームキューブ用ソフト『大乱闘スマッシュブラザーズDX』発売
[補足]前作に引き続きプレイヤーキャラクターとしてネスが登場するほか、オネットやフォーサイドのステージや、ポーラやスターマンなどのフィギュアが登場する。
2003年4月14日 ゲームボーイアドバンス用ソフト『MOTHER1+2』の発売と、ゲームボーイアドバンス用ソフト『MOTHER 3』を制作中であることをTV-CMで発表。翌日、ほぼ日刊イトイ新聞でも告知される
[補足]『MOTHER1+2』のTV-CMが最初に流れたのは、テレビ朝日「ニュースステーション」のスポットだったと記憶している。それを見てネット上に報告した者は、はじめガセ扱いされるという悲哀を味わった。
2003年6月20日 ゲームボーイアドバンス用ソフト『MOTHER1+2』発売
[補足]キャッチコピーは「おとなもこどもも、おねーさんも、ふたたび!」「ヘンなゲームなのか? 感動のRPGなのか?!」など。
2004年11月18日 『MOTHER 3』のものと見られる特許が特許庁のウェブサイトで公開される
[補足]特許の出願日は2003年4月23日。発明者には糸井氏、岩田氏、ハル研究所の酒井省吾氏のほか、ブラウニーブラウンの井上信行氏と相京正樹氏の名前もあった。ちなみに、このことを私が知ったのは、2004年12月に書いた記事に寄せられたコメントからで(コメントの投稿日は2005年2月)、その時点ではあまり注目されていなかった。しかし2005年10月になってからリンクされるようになり、皆が知るところとなった。
2005年9月 ブラウニーブラウンのウェブサイト上に、デバッガを募集する告知が掲載される
[補足]ブラウニーブラウンは2000年6月に設立された任天堂の開発子会社で、これまでに『マジカルバケーション』『新約聖剣伝説』を開発している。昔スクウェアにいたスタッフが多く在籍しており、そのRPGの豊富な開発経験から、『MOTHER 3』の開発元として白羽の矢が立ったものと思われる。ちなみに、糸井氏が吉祥寺について書いていたのは、ブラウニーブラウンのオフィスが吉祥寺にあるからである。
2005年11月4日 ほぼ日刊イトイ新聞にて、ゲームボーイアドバンス用ソフト『MOTHER 3』について糸井氏が「発売のめどが立ちました」と報告
2005年11月7日 任天堂がこの日開設した『MOTHER 3』公式プレサイトで、2006年春発売予定、価格は4,800円(税込)とアナウンスされる
2006年1月24日 ほぼ日刊イトイ新聞にて、『MOTHER 3』の発売日を4月20日と発表
2006年2月2日 ゲームボーイアドバンス用ソフト『MOTHER1+2』が「バリューセレクション」として再発売される
2006年2月7日 ほぼ日刊イトイ新聞にて、「ようこそ『MOTHER3』の世界へ!」の連載が始まる
[補足]「奇妙で、おもしろい。そして、せつない。」のキャッチコピーを発表。さらに、『MOTHER 3』のテーマ曲「MOTHER3 愛のテーマ」を公開。
2006年3月25日 ほぼ日刊イトイ新聞にて、糸井氏が『MOTHER 3』の開発が終了したことを報告
2006年4月6日 『MOTHER 3』のTV-CMがオンエア開始
[補足]女優の柴咲コウが出演。
2006年4月20日 ゲームボーイアドバンス用ソフト『MOTHER 3』発売...予定
※この記事は、キマイラの森 - M O T H E R 3や、ゲーム専門誌などを参考にさせていただきました。
『MOTHER3』を小説にするという話も一時ありましたが、私はノベル化に対する興味がなく、あまり情報を持ってない関係でそのあたりはカットしました。
それにしても、三作しか出ていないとはいえ、『MOTHER』シリーズの歴史は非常に長いですよね。『MOTHER 3』だけでも約10年。10代以下の子は『スマブラ』に登場するネスとしてしか、『MOTHER』シリーズについて知らないんじゃないでしょうか。若い子にも『MOTHER 3』をやってもらいたいと思う反面、古き良き時代のRPGをどのように感じるものなのか、期待と不安の両方があります。
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